いま、高校の教諭になるための勉強をしております。
33歳という年齢から、ちょっと焦りを感じたりしている日々なんですが
おんなじような境遇の人って、結構いたりするんでしょうか。。。
あたしの大学時代は、中学校とか高校の先生ってのは溢れ返ってまして
進路を考えるにあたって公立高校の先生を志望って書いたら
「10年待ちくらい、少なくとも5年」という状況でした。
ちょうど、団塊の世代の先生方が
たくさん現役でがんばっておられた時代だったんですね。
要は「上が詰まって」まして、空席待ちみたいな感じで
なかなかなれなかったのでした。
で、それだったらってことで、同じくらいの興味を持っていた
一般企業に就職するという選択をその時はしたわけでした。
ところがですね、今はちょっと状況が変わってきてるみたいなのです。
要因は2つあって、
ひとつは団塊の世代の先生方が引退して、教員の数が減ってきたこと。
もうひとつは、いままでは公立校の教員になるのに年齢制限がありまして
30歳くらいが上限だったんですが、それが規制緩和で
いまでは(都道府県にもよりますが)大体40歳くらいまでいけるんですね。
それで、あたしくらいの年齢で改めて教員を目指す人が増えている、
という話を大学職員の方から聞きました。
ここまで約10年間、一般企業でサラリーマンをやってきて
会社も印刷屋・電話屋・IT屋と3社ほど変わりましたが、
ぶっちゃけた話、サラリーマンは自分にはあんまり合わなかったですね。
まあ理由は自分なりにいろいろとあるんですが、
結局のところ、企業の利潤活動ってのが嫌いみたいですね。
とはいえ、お金は必要だし、それに仕事をすること自体が
イヤってわけじゃなかったので
そうなると、自分の生活の場としての環境とか人間関係とかが
拠り所になってくるわけですけども、
やっぱりそれだけだと、よっぽど恵まれていないとキツイみたいです。
ある程度は仕事自体のやりがいとか満足感がくっついてきてくれないと、
どうも長くは続かないみたいですねえ。
きっともう少し、仕事を仕事として割り切る必要があるんでしょうけども、
ちょっとここはひとつ、しばらく考えてるのを停止していた
「自分なりの在り方」ってやつにこだわってみようかと思いまして。
人から見ると「逃げだ」とか「甘い」とかいう風に見えるかもしれませんが
これはこれで、実は結構甘くない道ですよ。
倍率だってバカにならないですし。それなりに険しき道です。
今回のタイトルにした「アイデンティティ」ってのは、
一般的には「自我同一性」と訳される心理学用語で
よく「自分探し」的に言い当てられたりしますが
「自己の存在証明」
「自らの属する時代・社会の中で、自分とは何者であるかという自己定義」
「自分はこの社会の中でこう生きているのだという実感、存在意義」
などと定義されます。
自分の存在価値というものは、
当然それを認めてくれる仲間とか社会があって初めて意味を成すもので、
その中で求め認められる方向と自分を一致させながら自信を得ることが
生き生きとした自分でいるために必要なのだと思います。
つまり、アイデンティティを確立するとか獲得するというのは
自らの社会的位置付けを「有意味的に」かつ「肯定的に」認識できる
ということが大前提としてあって、
社会との関わりの中での、自分自身の役割とか価値についての
あくまでも『前向きな確信』であるべきなのです。
そうすると、多くの人がある時期になると陥ってしまうような
「自分はまあこんなもんか」とか「まあここまでか」ってのは
実は一度確立された(はずの)アイデンティティが
拡散を起こしてしまっているわけで。。。
そういう意味では、一度確立されたアイデンティティていうのは
完全じゃないんですね。
そういう状態に陥ったときには、
元々の自己認識にこだわらずに、自分を見直したり方向修正をするのは
アイデンティティを保持するために、逆に必要なことであるわけです。
ちょうど、いま勉強している教育心理学の課題になってまして。
こんなことを感じながら、レポートを一本仕上げたのでした。